同じ職種の世界で働く二人が一緒に暮らすようになってから、二人で仕事の事を家庭に持ち込んで話すことはそれまであまりなかったし、お互いの仕事の事で意見を交わすことも避けていた。
 礼一には礼一の持つ世界とペースがあり、麻子には麻子の同じものがあるわけだから、それをお互い尊重するように努めて来たと言った方がいいかもしれなかった。それは個性やセンスがものを言う世界で働く人間達にとっては、マナーだとも二人は思っていた。
 だが、初めて二人が同じ目的に向かって動き始めた時、少しづつだが、そのマナーによって保たれてきた関係に亀裂が生まれるようになった。
 このコンペに応募するという話は、あくまでも私的な部分で行われることなので、その作業はどうしても家に帰ってからしなければならない。二人は勿論ライバルという関係にあるわけだから、机を並べてという訳にはいかなかった。それで礼一はリビングを仕事場にし、麻子はベッドルームを使って、それぞれの世界に浸かりながら、自身の作品作りを始めたのだが、最初の頃はそれでもお互い相手のことは気にかけずにはいた。
 特に礼一は麻子と知り合ってから何度となく麻子の作品を見てきたし、取引先に麻子を売り込むために作品を持ち歩いて、自分が思った作品評を相手に述べ、そのことを麻子にも伝えていた。それに、麻子は6年間、アメリカの大学で基礎を学んだという、自分にはない実績もある訳だから、麻子に対して礼一が意見を言うということはなかった。

 しかし、麻子の場合は少し違っていた。― というより、麻子には礼一のことが気がかりだった。
 というのも、それまで麻子も何度か礼一の描いた作品を見たことがあったが、どうも麻子には礼一の作品に、アメリカで通用していくには不足している面と、そして表現方法などのテクニックなどにも疑問な点を感じていたからだった。
 それは、麻子がアメリカに来て6年の間、この国で通用して生きていくには何が必要か考えたこととは違い、礼一の場合は日本での流れに沿って考えてきたやり方の延長を、そのままアメリカでも通していることの違いでもあった。言いかえれば、日本での発想がモダンさであり西欧化であることを、そのまま当のアメリカに持って来ているということだった。それがこの国ではどういう結果を生むかというと、オリジナリティーに欠ける。アメリカ人から見ての目新しさの欠如と思われやすいのだ。
 ただ、それでも麻子には礼一の作品に感心させられることがあった。デッサン力や色彩感覚が天才的といえるほど素晴らしく、この人は道を誤ったのではないか。絵描きの道に進んだ方がよかったのでは・・・。― 礼一が描いたイメージ・デッサンを見てそう思うことがしばしばだった。

 そういう訳だから、礼一が家に帰って来てリビングの片隅で仕事を始めると、麻子は気になってしかたがなくて、通りすがりについつい覗き込んでしまうのだった。
 それでも最初の頃はまだ礼一も気にも留めなかったが、しばらくすると腕を組んで渋い顔をしたり、ポイントを指差して礼一に確認を促したりするような麻子の態度に、さすがに礼一も気に障るようになってしまい、それまでクチ喧嘩すらしたことのなかった二人の間に、少しずつ気まずい雰囲気がただようようになった。それは残念ながらライバル関係から生まれるものとは違っていた。
 「礼一。せっかく人が親切に適切なアドバイスをしてあげてるのに、まったく聞く耳を持たないのね。もっと大胆な何かを見せてよ。同じような作品とアイデアばかり並んでる所に、あなたも同じようなものを投げ込んでもしかたないでしょ。礼一の中にはオリエンタルとウエスタンの世界が両方あるんだから、それをオリジナリティーという武器にしようとか思わないの。」
 「今の俺はこれでいいんだよ。無理にイメージを膨らませても、ろくなものは描けないさ。それよりも麻子は自分の仕事に集中しろよ。その方が俺はよほど助かる。」
 麻子は大きな溜息をついたが、それ以上は返す言葉もみつからなかった。
 自分のもが採用されたいのか、それとも礼一に採用されるものを描いてほしいのか。どちらだろう。― そう考えると、礼一に対してむきになろうとしてる自分も、確かにおかしいことをしているのだった。



 締め切りの1週間前には全ての書類と作品を提出していた礼一と、締め切りギリギリまでかかった麻子は、結果発表までの1月間をそのことについて触れないようにして過ごした。
 もしうまく二人の内のどちらかの作品が採用されることになったら、レドンドビーチのレストランで、オマール海老の料理を採用された方におごろうね。― と、いう約束だけは麻子の方から持ちかけてしていたが、礼一の方は大して気にも留めていなかったようで、自分はこれから売れていきたいと切実に願っている麻子には、礼一のそんな態度は腹立たしくもあった。
 このコンペの結果発表は応募者全員に郵送されることになっていて、麻子の方はその手紙が届く日は朝からソワソワして落ち着かない様子だったが、礼一の方はというと、そんな麻子をただ呆れて見ているだけのいたってのんびりした態度だった。
 そして、そんな二人のもとに手紙が届いたのは、その日の昼過ぎだった。
 同じ封筒に入った二通の手紙を前にしても、麻子の方はすぐには開こうとはしなかった。もしかしたら自分の人生を大きく切り開けるチャンスに繋がると思うと、少し怖い気がしているようだった。
 ところが礼一の方はというと、さっさと開封すると内容を声を出して読み始め、落選ということがわかると、その手紙を天井に向かって大きく投げ出した。
 「予期した通り。ってとこかな。う―ん、ショック。」
 そういう割には顔は笑っていた。

 一方の麻子は、礼一のサバサバした態度に勇気付けられたのか、ペーパーナイフで封を開けると、声を出さずにそこに書かれている文面に目をはしらせた。
 礼一は麻子の口からどんな言葉が飛び出すか楽しみに見つめていたが、麻子は同じところを何度も読み直しているようで、暫くの間何も言わなかったが、その内に麻子の目から少しずつ涙が溢れて出してきて、ついには両手で顔を覆って泣き出してしまった。
 「おいおい麻子、いったいどうしたの・・・。」
 礼一は驚いて麻子の顔を覗き込んだが、麻子の方は突然礼一の胸に飛び込むと、聞き取れないほどの声で、受かった。― そう言ったのだった。
 「エー、君やったじゃないか。凄いなァ―。ヘェー、おめでとう。麻子。」
 麻子は嬉しくて仕方がなかった。初めてアメリカで自分の実力を認められた瞬間だった。
 「これで君は雑誌にも紹介されるだろうし、もしかしたらヘッドハンティングでもされて、もっと沢山チャンスを貰えるかもしれない。凄いことだよ、麻子。」
 礼一は思いっきり麻子を抱きしめると、泣きじゃくる麻子の髪をそっと撫でてやるのだった。

 その夜、約束通りに礼一は麻子を連れてレドンドビーチのレストランに出かけた。
 よく考えたら、二人が一緒に暮らし始めて、初めて着飾って出かけるディナーでもあり、当選の喜びもあってこの夜の麻子は上機嫌だった。
 そのせいか麻子は最初からよく喋った。礼一は麻子がどんなプランニングをし、どんなデザインをしたかまったく知らなかったが、麻子はそれをこと細かく説明してくれた。
 「一番自信があったのは、エントランス横の大きなフィックスの一枚ガラスの内と外に、日本風な池を配置して、夜はさらに両方の池に内外からライトを当てて神秘的な雰囲気を出せたことね。これはきっとこっちでも受けると思っていたことなの。あれが効いたかなァ。それにね・・・。」
 次から次へと、麻子は自分の作品のことばかり持ち出しては、陶酔してるような表情をして喋り続けるのだが、今夜は麻子の言うことは黙って何でも聞いてやろうと礼一は思っていたので、礼一にはさほど苦にはならなかった。それにアメリカで自分よりも数倍苦労した結果が、今のこの瞬間である訳だし、勝者の言い分に素直に耳を傾けないようなヤボなこともしたくなかった。
 だが、喋るだけ喋ってアルコールが回り始めると、麻子は礼一に向かって小言を並べ始めたのだった。
 
 「ねェ、礼一。この国で認められるには何が必要か、これまで何度も私あなたに教えてあげたでしょ。でもあなたは何も変えようとしない。もう3年以上居るのにどうしてなの。」
 「あなただってこの国で成功したいっていう気持ちがあったから、わざわざアメリカまで来たんじゃない。このままズルズルいってしまえば、何も掴めないまま、気がついたら惨めな老人になっていたってことになるの。海外で暮らしてると、何故か日本で暮らしてる以上に時間の経過が早いって。判るでしょ。あと10年、15年経って今と同じままだと、きっと自分を惨めに感じるようになるのよ。その時は敗者なの。他に進める道は残っていないの。確りしてもらわないと、パートナーの私だって困るの。」
 そこまで言って、麻子は少し言い過ぎたと思った。礼一の表情が急に険しくなって、これまで見たことのない目で睨み返されたのだった。
 「あァ、そんなこと位判っているよ・・・。」
 そういっったきり、礼一は何も言わなくなってしまった。麻子は少し調子に乗りすぎたと思ったが、取り繕う言葉もすぐには出てこなかった。
 「ごめん・・・。少し言い過ぎた。・・・でも、その分私が頑張るから。」
 別に悪気のない言葉だったが、礼一はそれから目を合わそうともしなくなた。

 その翌日から、麻子には多忙な日々が待っていた。
 採用されたプランが形になるまで、こまかい打ち合わせは何度も繰り返されて行われるが、それと自分の勤め先との仕事を両立させることがまず一番の問題だった。
 しかし、これだけ大きなコンペに採用されたということで、麻子の会社のボスも悪い気はしなかったようで、多少の融通は利かせるからと約束はしてくれたのだが、裏を返せば、ヘッド・ハンティングが一般的に行われているアメリカでは、優秀な人材を確保しておくためいは、多少のリスクは避けられないというのも当然なことで、それが判る麻子は、それでまた少し自信を深めたのだった。
 バカみたいに忙しくても、それを苦痛に感じるどころか、楽しくてしかたがないと思える人間って、本当は極僅かなんだろうな。― 麻子はそんなことを考えながら、やっと訪れたわが身の春を満喫していた。
 だが、その一方で、あれ以来言葉も交わさなくなった礼一のことは気にも留めずにいた。
 遅く帰ったら寝ているし、朝はあれから起きることも遅くなった。麻子を避けている態度に、普通だったらおかしいと思うのだろうが、麻子にはそんなことに構っている暇は実際のとこなかった。
 来週になって落ち着いたら聞いてみよう・・・。― そう思っていた矢先だった。仕事から帰ってくるとテーブルの上に置手紙があり、僅かな身の回りのものを持って礼一は家を出ていたのだった。

 ― 勝手なことをするようだが、僕はここを出て行きます。短い間だったけれど、お世話になりました。それから、少しだけれど、当分の間は君もお金が入用だろうから置いていきます。今の僕にできる精一杯のお祝いです。僕の車も処分して生活費の足しにでもしてください。活躍を祈っています。―
 封筒には手紙と一緒に3千5百ドルのお金が入っていた。
 麻子は手紙を読み終えると、その場にへたりこんでしまった。
 どうして。何なの。どうしちゃったの・・・。― すぐに現実を受け入れることができなかったが、時間の経過とともに、猛烈な寂しさが麻子を襲ってきたのだった。
 翌日、麻子は無理を言って仕事を休み、ロス・エンジェルス中の、礼一が立ち寄りそうな場所を訪ね歩いた。魚釣りに行っていたマリブやサンタモニカの桟橋。安ホテルがあるリトル・トーキョー。礼一の知り合いの家も全て訪ね歩いたが、どこにも礼一が立ち寄った形跡はなかった。
 車も置いていったんだし、もしかしたら日本に帰ったのかもしれない。でも、何故何も話してくれなかったの・・・。― 麻子は途方にくれたが、あとできることといったら礼一の勤め先に聞いて、日本の礼一の実家に連絡を取ってもらうことくらいだった。礼一の知り合いの会社だから、何か知っているだろうと思っていたが、礼一は勤め先にも一方的に電話で辞めるとだけ告げて姿を消したらしく、会社としても礼一が急にいなくなって困っている様子だった。そして、暫くして麻子に連絡があり、日本には帰国していない可能性が高いということだった。



スミレの誕生


 異国で襲われる孤独感は、日本にいて感じるそれとは比べ物にならない位のものがある。
 何年前だったか麻子は、日本で米兵と結婚して、その後アメリカに渡り、子供までもうけたが結局離婚してしまった日本女性に会った事があった。その女性に、行き場を失った者の辛さと、肉親や身内のいない異国の地で、一人にされた者の孤独な姿を見せられ、同じ日本女性として少なからずショックを受けたものだが、こうして自分が彼女と同じような孤独感をあじわいながらも、麻子はその女性のように諦めてうな垂れるような生き方だけはしてはいけないと心に誓うのだった。
 だから、麻子はやり場のない寂しさを、仕事に没頭することで忘れようとした。麻子には幸運にも孤独感と寂しさを埋め尽くすだけの仕事量はふんだんにあった。
 それに、せっかく掴んだチャンスを必ずかたちにしなければならないという義務感も、そんな麻子を前に押し出す原動力になっていた。
 「私はずっとこれまで自分を信じて生きてきた。だからこんな遠い国でも、一人でここまでこれたんだ。自分を曲げなければいいのよ。」何度も自分にそう言い聞かせるのだった。
 
 しかし、礼一がいなくなって、そんな一人だけの生活が1月ばかり続いたころ、麻子は急に自分の体に変調を感じ始めたのだった。
 食欲がなくなり、それまで何でもなかった物にも急にムカつきを感じ始めた。最初は軽い風邪かなと思っていたのだが、2月ほど生理がないことも気がかりだった。
 あの人がいなくなって、仕事は忙しいし、身も心も疲れきってるせいだわ。それ以外の事ってあるわけないじゃない・・・。― 麻子は無理にそう思おうとするのだが、日に日に体調の変化は激しくなるばかりで、ついには麻子も無理をすることが怖くなり、病院に自分から出かけていったのだった。
 そして、医師から告げられたことは、麻子が最も恐れていた妊娠だった。
 少しはそんな嫌な予感めいたものを感じてはいたが、さすがに医師からはっきり宣告されてしまうと、麻子はしばらくの間立ち上がることもできなかった。
 「どうしよう・・・。これで全て終わってしまうの。これまでしてきたことが、全て無駄になってしまうの・・・。」
 家に帰った麻子は、虚脱状態のまま、何度も心の中でそう呟いていた。

 それから1週間、麻子は仕事を休んで家に閉じこもりっきりだった。
 アメリカという国は、中絶に対しては保守的な考えの方が強い。その反面、ピルなどの避妊薬に対する考え方は進んでいて、娘が年頃になると、母親や医師はきちんとその利用法を教えているし、若いカップルの間でも、相手に対する気遣いで、避妊薬のことはよく話し合われている。
 だから、アメリカで中絶手術を受けるよりも、このまま日本に帰って中絶手術を受けるべきか、それとも何とかして授かった命を産み落とすべきか悩んだ。
 麻子にとってはいずれの道を選択しても、これまで築いてきたものを捨てなければならないというリスクは避けられそうもなかった。
 そして、1週間悩みぬいた結果、麻子が出した結論は、この子を産もう。― だった。
 動けるまでは働いて、その先のことはまた考えればいい。礼一が置いていってくれたお金もあるし、今回だけは恥をしのんででも両親に頼ろう。お腹の中にある命を、私には捨て去ることはできない。もし私に運があれば、仕事の方はまたいちから築けばいい。― そう腹を括った時、麻子は妙に落ち着いた気分になっていた。

 それからしばらくして、麻子は勤め先にも友達にも、自分から妊娠したことを告げた。
 一人になった麻子が、礼一の子供を身篭って生むと決めたことに、周りの人間は一様に驚いていたが、麻子の態度があまりにも堂々としている上に、以前にも増して逞しさを感じるようになったことで、周りの人間達は麻子に対して、より好意的になっていった。
 その中でも、麻子と同じオフィースで働くジムは、より献身的といってよかった。
 ジムは麻子よりも1歳年上で、北部のワシントン州のりんご農家の次男坊だった。州都シアトルには古くから日本からの移民が多く入り、そのせいで日本人との付き合いも子供の頃からあったようだし、高校、大学と日本人に付いて剣道を学んだ上に、どうも若いくせに盆栽を追っかけまわしていたらしく、「風流、風流」というのが口癖だった。そんな、アメリカ人から見ればいっぷう変わった男だが、性格も真っ直ぐで、あまり口数は多くないが、本当に優しい男だということは、外見に表れる人柄でもわかった。
 ジムは麻子の仕事のことには一切手を出さなかったが、それ以外では本当に良く麻子に気配りをしてくれたのだった。

 麻子は臨月に入る直前まで仕事をこなし、当選したコンペの作品も、形になるのを見届けるまで頑張った。
 日本の両親から、どうしても生むのなら、日本に帰って生むよう強く勧められたが、生まれてくる子供に、将来アメリカで生きるための選択権を持たせてあげたいがために、あえてアメリカで生むことを麻子は強く望んだのだった。勿論麻子は生もうと決めた時から、そのことだけは決めていた。
 そうして、スミレは生まれてきた。
 初めて生まれてきた我が子の顔を見たとき、麻子は自分で選んだ道が正しかったのだとつくづく思った。この先、異国の地で、この子とともに生きていけると思うだけで、麻子は幸せな気持ちになれて、自然と涙が溢れてきたのだった。
 だが、麻子にとって、本当の試練はここから始まったのだった。
 乳飲み子を抱えた状態で、生活と仕事を上手くこなしていくことは生易しいことではなかった。
 特に欧米のように、女性の地位や権利が古くから確立されている社会では、評価も男性と同等で厳しく、理由はどうあれ、仕事の実力のない、或いは仕事の出来ないものは、その地位なり立場に留まれないのが現実で、スミレが生まれてからの2年間、麻子は生きて行くのがやっとという状態で、良い仕事も回ってこないし、たとえコンペの話があっても、集中して取り組める時間が持てない以上、お手上げの状態だった。麻子が礼一のことを心底憎んだのは、この頃だった。

 ただ、そんな時にでも、ジムだけは麻子とスミレの強い味方だった。
 麻子が育児と仕事で疲れきって落ち込んでいると、必ず励ましてくれるのはジムだったし、スミレが病気で仕事に出られず、収入が減って生活費に困ると、それを見越して助けてくれたのもジムだった。
 そんなジムが、麻子に結婚してくれないか。― とプロポーズしてきたのは、スミレが2歳半になった頃だった。
 最初麻子は冗談だろうと取り合いもしなかったが、あまりにもジムの直向な態度に、仕舞には麻子が折れた格好で、ジムのプロポーズを麻子は受け入れたのだった。
 ジムは物凄い喜びようで、以前にも増して麻子とスミレを大事にしたが、麻子の方はそれでも暫くの間、何故だか吹っ切れていないものが、まだ気持ちのどこかにある気がしてならなかった。
 それで麻子は、それまでとはまったく違った生活を築きたいとジムに相談し、ダウンタウンから見れば南の、ローリングヒルという所に新居を購入したのだった。ジムの実家は裕福な家庭なうえに、この頃のジムはそろそろ自分のオフィースを持とうかというまでになっていたので、麻子の希望を聞けるだけの余裕がジムにはあった。
 
 ローリングヒルはロングビーチの西側に突き出た大きな山の岬で、ダウンタウンやサンタモニカのビーチなどを見渡せる斜面に点在する家々には、裕福層が多い。
 麻子はスモッグであまりはっきりと見えない、30キロばかり離れたダウンタウンの高層ビルを見ながら、いつの間にか自分もこんな良い場所に住めるようになったことが、不思議に思えるのだった。
 しかし、それまでちぐはぐしていた歯車も、なにかの拍子で上手く回転を始めると、不思議とそれに合わせるように色んなものも上手く動き始めるもので、それから暫くして、その頃ハリウッド映画で売り出し中の女優から、今度マリブに建てる新居のインテリアとガーデンのデザインを、麻子を名指しで依頼されたのだった。
 麻子はこの女優の名前は知っていたが、どうして自分を指名までして依頼されたのか不思議だった。
 だが、大きなチャンスだということは間違いなかった。ハリウッド映画に関わる世界と繋がりがもてれば、この先どれほど多くの大きなビジネス・チャンスに恵まれるかわからない。
 麻子は、ジムの進めもあり、その話を快く何も聞かず受けたのだった。
 そして、それからの麻子は、アメリカに初めて来た頃持っていた夢を、次々と現実に変えていったのだった。


−4−

もくじ HOME